はじめまして!
「勉強の仕方から学び、自分で勉強できるようになり
、成績が伸び、楽になった!自信になった!」
と言われる、
大学受験専門の塾“くら塾”塾長 平井 英里です。

「すごい頑張って初めて○○位とれて、めっちゃ嬉しい」
「自分が憧れの○○大に合格できたなんて信じられない」と
生徒さんが“笑顔”になることが、私のよろこびです。

そのために、
「受け身でなく、自分から行動する勉強って楽しい」
と気づいてもらえるよう心がけています。

なぜ、私が【素直】を使命と掲げているのか、
そのワケを聴いていただけますか?

「絶対、勉強なんかしたらアカン!」

父方の祖母は、早くに子ども二人を亡くしていました。父の姉と弟です。体が弱かったのです。「なんで…」と祖母は、悲しみました。そして、ものすごく後悔しました。祖母は、この経験から、元気=健康、そして、勉強=不健康と考えるようになったのです。

小さいころから、私は体が弱かったのです。父方の祖母から、「絶対、勉強なんかしたらアカン!」とか「たくさん食べて、たくさん寝る」といつも言われていました。

そのたびに「いやだなぁ」と思いました。“がんばるな!生きることにがんばるな!”と言われているように感じたからです。

幼稚園のころから、私は、アトピー性皮膚炎に悩まされました。母は、ちょっとでもいい病院があると聞くと、全国どこでも私を連れて病院めぐりをしてくれました。

小学校に入ったころ、四国の山奥にアトピーのすごい先生がいると聞きました。母は「今度こそお願いします」と願いました。前の晩、母と一緒に、何もない山奥の旅館に泊まりました。

翌日、先生とお会いした瞬間、見ただけで、偉大さを感じました。「この人、ただのお医者さんじゃない」と。京都大学医学部を出たアトピー専門の先生。その先生のおかげで、アトピーは劇的に治りました。

母のほっとした表情を見て、私も「よかったぁ」と思いました。

「数学だけでもやってみないか?」

中学は、受験をして私立中学へ行きました。入学早々の授業で、先生は全員に白紙を配り「世界地図を書いて」と言いました。私以外、みんな普通にスラスラと書いていました。私は、一本の線すら書けない。また、理科の顕微鏡の授業では、みんな慣れた雰囲気で扱う。私は、顕微鏡の実物を見たことがなかったため、薄いガラスを割ってしまったり、周りを見てびくびくしているだけでした。

やることなすこと、わからないことばかり。「みんな、すごいなぁ」と思うと、一人取り残された気持ちでした。

定期テストを受けたら、点数はびっくりするくらい取れていない。順位はすごく下のほう。「えらいところに来てしまったなぁ」と思うと、努力する気にもなれません。自信は全くなく、自分にあきらめていました。

中学2年生のころ、普通にしていても体が傾くようになりました。
病院で診察を受けると「痛くないのが不思議」と、先生から驚かれました。病状はだいぶ進んでいて、「脊柱側弯症。今すぐ手術すべき。」と言われました。

手術となると、数か月の入院とリハビリで、学校の勉強などからより一人だけ取り残されそうな気持ちになり嫌でした。結局、手術は延期で、矯正器具を付けながら、生活することになりました。矯正器具は、1日12時間装着。これが息苦しくて窮屈で、本当につらかった。

それに矯正器具なんかで目立ちたくない。学校に行かずに、器具を外して、公園で休むこともありました。

「なんで自分だけこんな目に…」

「なんで?」という違和感が、いつまでも消えませんでした。

中学3年生の時、担任で数学の若槻先生が、声をかけてくれました。

「数学だけでもやってみないか?」

そのひと言が、私には、うれしかったのです。半分疑いつつも、「ちょっとやってみようかな」と思いました。もちろん最初はわからないことが多すぎて苦戦したものの、あきらめずに授業をちゃんと聞き、その日のうちに納得いくまで見直し、テスト範囲を自力で解けるまで勉強しました。すると、驚くことに100点が取れたのです。

やったことは、授業をしっかり聞いて教科書に書き込む。その日のうちに腑に落とす。わからないかもしれない、と思ったときは、心の底から納得いくまで考えたり質問しに行く。テスト前は「もしこれと同じ問題が出たら絶対取れる」と思えるまで復習する。そのような地味なことを地道にやることだけでした。

若槻先生は、その後も、いつも気にかけてくださって、いろいろやる気を引き出してくれました。

私の解答用紙を模範解答として全員に配り、解説として使ってくれました。また、授業の時に「前に出て解説して」と壇上に呼んだりしてくれました。

同級生からは「考え方がわかりやすい!」「えりな先生!」と言われました。変に意気込むことも無く「こう考えたら数学って面白くない?」という感じで自分がワクワクしながら伝えていたのが、よかったのかもしれません。

「やれるとこまで、やってみよう!」

数学が100点を取れるようになったことで、似ているので物理や化学も勉強してみました。すると、これらも100点を取れるようになったのです。

今までは、自分はできない、と思っていました。ところが、できないのではなく、自分を信じて本気で向き合ってみようと思っていなかっただけだった。「行動すれば、できる」と自信がついてきました。

高校2年になると、「人生をよくしたい!」「いい場所に行って人生を変えたい!」という欲求が強く出るようになりました。

地道に復習回数を増やすことで、成績がよくなることはわかりました。ただ、苦手な科目は、なかなか勉強する気になりません。そこで、心理学・脳科学の本からヒントを得て、勉強することを楽しむ工夫をしたのです。

たとえば、苦手だった英語。私の場合は、突き詰めると「英語の先生に嫌われている(と思い込んでいて)→英語って怖い」と考えていることがわかりました。そこを、まず「英語という科目自体には好かれている」と考えるようにしました。

また、1回1時間勉強するのではなく、6回10分毎日短時間でいいので目にすることで、少しずつ勉強を楽しめるようになりました。

このように、意思の力(やる気)だけで頑張るのではなく、自然に勉強するようになるにはどうしたらいいのか、を考えていたことが、将来の塾運営に結果として役立ちました。

大学受験の時は、化学物質過敏症・電磁波過敏症といった病気の症状がピークの時期でした。高校3年のときは、体調がわるく、学校をよく休みました。両親からは「そんなに頑張って、勉強せんでもいいやん」としょっちゅう言われます。でも、そう言われると、反発して、もっと勉強したくなりました。

猛勉強して、“受験当日、体調がどん底でも受かる”と言えるくらいまで準備しました

受験勉強をしている時は、生きている実感がありました。自分の情熱をぶつけられるものが見つかったのです。勉強することが嬉しくて、楽しんでやっていました。熱中できる、没頭できる、やりきりたいことが見つかって、「生きてるな!」と感じていました。

勉強の甲斐あって、京都大学に合格しました。大学では楽しく濃い4年間を過ごしました。

「きっかけを与えてくださった」

いざ大学を卒業するとなった時、自分のやりたいことが何かわかりませんでした。また、大学3年の時に受けたに背骨の手術の影響で、化学物質過敏症などが悪化。当面はフルで仕事をすることは無理と判断。これからどうやって生きていけばいいのかわからず、途方に暮れていました。

最初は、塾を作るという考えは全くありませんでした。たまたま「勉強を教えてほしい」という父の知り合いの高校生を自宅で教えていました。

大学生活では、入院中以外は家庭教師を続けていました。私が大学4年時、当時中学3年生の女の子に数学を教えていました。優しく・丁寧に・根気よく、一生懸命教えていたら、数学の成績が2から4に上がったのです。

翌年、女の子が高校に合格した時、私に手紙をくれました。「先生は、私にきっかけを与えてくださった!」と感謝の気持ちが書かれていました。自分が一生懸命したことで人に喜ばれるのは、気持ちが良いなぁと感じました。

このような出来事があり、「人をサポートすることが好きかもしれない」と思うようになったのです。

そこで、「これからどうやって生きていこう?自分の強みがわからないけど、どう思う?」と母に聞いてみました。

すると、母は、こう答えてくれたのです。

「手術とか病気とか苦労して、人の痛みがわかるでしょ。だから、人に向き合う仕事(塾)というのは、いいんじゃない。」

「お母さんは、そう思ってくれてたんやなぁと」思い、塾をやってみよう!と思ったのです。



最初は、まず段ボールで看板を作り、手作りしたチラシを家の前に置く。一つ一つ工夫しながら塾の開設準備をするのは、楽しかったです。その時の生徒さんが友達を紹介してくれて、ぽつぽつ生徒数が増えていきました。

最初は自宅二階の空き部屋、次は自宅の玄関内で教えていました。玄関に生徒4人分の机を並べる。そのうち、玄関横のリビングまで机が8台、16台、、、とはみ出ていき、徐々に拡張していきました。

塾の初期の頃の生徒さんで、医学部に行きたいという高3の女の子が紹介で来てくれました。化学だけがどうしても苦手と悩んでいました。夏休みは毎日MAXの3コマずつ取ったり、空いている時間はできるだけ塾で勉強したいと通ってくれました。その後、浪人して医学部に合格しました。

「何をやっても化学ができなかったけど、えりな先生のおかげで、一番好きで得意な教科になった!」

合格するまでよく感謝の手紙をくれました。合格するまであきらめない姿が、とても印象に残っています。



今でこそ「くら塾」は、国公立大学を目指す高校生が対象です。最初は対象を絞っていませんでした。小学生や中学生、誰が来ても良い個別塾でした。

先生は私一人で、全力で勉強を教えていました。ところが、空回りばかり。

勉強の意欲が無い子には、どうアプローチしても本人に響かない。また、ものすごく勉強を頑張っているよう見えるのに、成績が伸びない子もいる。試行錯誤しながら教えますが、成績に表れてこない。期待されているような成果が出ない…

「すぐに辞めてしまうんじゃないか」「この子がもっと勉強嫌いになったらどうしよう」と悩みました。25、6才の時です。

「目の前にきた生徒は全部やらないとダメ」と思い込んでいました。「頼まれたら全力で引き受けて、結果を出さないといけない」と。段々、教えることに自信が無くなっていきました。

「やるせないなぁ。しんどいことが多いなぁ…」

なぜ、私は【素直】を使命と掲げているのか?

すべての子供の成績を上げることに限界を感じ始めました。そこで、塾を経営している人の集まりに参加したりしました。その中には「うちの塾を見学に来ていいよ」と言ってくれる方たちも現れました。そのたびに、東京・長野・浜松・群馬・西宮などのスゴい塾に飛んで行きました。

その塾でやっている方法をいろいろ試してみました。目標や成績を壁に貼る。生徒のやる気を出“させる”方法、などです。

ですが、どれも私が実際にやったものではないので、違和感を感じたのでした。なにか自分に合わない不自然なことをやっているような気がしました。

「わかりあえないと、苦しいなぁ…」

ある日、ふと口にした時、ハッとしたのです。

もしかして、
小学生や中学生に教えていても、私の考え方をわかってもらえない。
そのことが苦しかったのかも。

受験を乗り越えて来た高校生には、私の考え方をわかってもられるのに。

その瞬間、私の心の奥底にあった本心が、素直に出てきました。

「わかって欲しかった…」

わかりあえることを欲していたんだ。

そう感じたとき、なにか違和感を感じても、自分の素直な気持ちを見ないで生きてきたことに気づきました。

中学2年のとき、背骨が曲がり大変だったとき、両親に、素直につらいと言えたとしたら。私のことを「わかってほしい」と素直に言えたとしたら。

そもそも、理不尽な想いをしたり、つらい想いをしたとき、自分の素直な気持ちをみとめてあげなかったのではないか…

そうなんです。私には、素直さが欠けていたのです。

この体験から、私は、【素直】を使命と掲げることにしました。



【素直】を使命と掲げることで、私にあまり合っていない、あまり力になれなかった小学生や中学生を対象とすることをやめました。受験という壁を乗り越えてきたつらさを共にわかりあえる高校生に絞ることにしました。高校生なら、私の気持ちや考えをわかりあえる。

それから、国公立大学を受験する高校生のみを対象とする塾に変えました。あわせて、卒業生に塾の先生として手伝ってもらうようにしました。自分の素直な気持ちが見えてから、進むべき方向もやっと見えてきました。



また、どんな高校生が、くら塾に合うのか、基準も見えてきました。

・受験勉強を全力でやり切りたいと思っている人
・勉強はやると決めているけど、相談できる先生が欲しいと思っている人
・目的意識があり、事前準備もしっかり行う人

7、8年前から塾に入り、今は塾の先生をしてくれている人たちに、くら塾に入ってよかったことを、あらためて聞いてみました。

「この塾に来てなかったら、成績が下がる時期がとても長く、そこから脱出するのに時間がかかったかもしれない。早めに来たことで、後がすごく楽になったことが、ものすごく大きいです」

「自分から質問するという、受け身の授業じゃなくて、自分から行動するっていう勉強をここで教えてもらったという感じです」

「試験直前にいろんな先生方が『○○さんなら大丈夫だよ』って言っていただいたのは、すごく嬉しかったです」

このように言っていただき、あらためて、この仕事をやっていてよかったと、素直に思えたのです。私になりに考えてやっていたことを、よろこんでくれたことが、本当によかったと思いました。



また、親御さんは、くら塾のことをどう思っていたのか、気になっていました。そのことも、素直に聞いてみました。

「親からは『平井先生に恩返しできるように働いて』と言われました(笑)」

「母に聞いたら、『あなたの性格に合ったところに出会えてよかったね』と言ってました」

「母は、『平井先生のおっしゃることなら何も不安なく任せられたなぁ』って言ってました(笑)」

親御さんがこのように感じていていただき、責任を少しでも果たせたと思い、ほっとしました。

「中学校のままの感じで勉強したら、気が付いたら全然成績が振るわなくなって…。」と悩んでいる生徒さんへ。

「だれかがサポートしてくれないと、これは、一人やったら絶対無理やなぁ…」

「成績が下がる時期がとても長くて、そこから脱出するのにもそれ以上の時間がかかって…」

「学校の数学の授業に全くついていけなくなって。自力でどうにもならないなぁ…」

このようなことで悩んで方に、この物語を読んでもらいたいと思っています。そして、「私でも大丈夫」と感じていただけたら、とてもうれしいです。


そして、これから受験を迎える高校生に、先輩たちのこの言葉を送りたいと思います。

「ずっと劣等感の気持ちは最後まであったので。平井先生に『大丈夫』って言ってもらって、気持ちが大きくなれたことが一番大きいと思います」


「自分から行動するということを通して、なにがあっても、人生を切り拓いていけると思えるようになったこと、一番よかったです」

このように感じてもらえるためにも、【素直】を使命に掲げて行動していきます。感じたことを、素直に声をかけることで、生徒さんが輝きだす!と信じてやっています。



最後に
 お母さん
病気がちだった私のそばにいてくれて
本当にありがとう。
お母さんが、そのときどきで声をかけてくれたこと
私の支えでした。

ときどき、がんばりすぎるときがありますが
あたたかく見守ってください。

               平井 英里